花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

2019-01-01から1年間の記事一覧

秋空に飛ばされそうな幸福論

「今日は空が綺麗だから幸せでした。」 幸福の尺度なんて人それぞれなのだから、このくらい簡単に幸せになってしまっていいのではないか、と僕は思った。 このところ、この数ヶ月か数年ほど、僕は幸せな人生について考えている。どう生きるべきかとか、どう…

マルチペンを巡る葛藤やら何やらについて

気づけば、僕はマルチペンを探している。 筆記具を求めているのは、何かを書きたいという衝動の波紋のようなものなのだろうか。あるいは、単なる所有欲によるものか。 どちらにせよ、僕はペンを欲している。 昨日は、インクレスペンという金属チップによって…

思考のごみばこ

自分自身を取り巻く相対性について。 幸福論とかそういう難解なものを語りたいわけじゃないのだけど、たまに自分の幸せが何なのか考えてしまったりする。 それは相対的なものなのか、あるいは絶対的なものなのか。 このところ人と接する機会が増えて、それに…

生きるのは楽しいとかそういう強がりについて

ふと気がつくと年を取っていて、もうとっくに子供じゃない年齢になっている。 10代の頃は、電車に乗っている疲れた顔した大人たちを、自分とは別の種類の人間なんだって思ってた。 スーツを着て働く自分の姿も想像できなかったし。 それから10年経って、僕も…

美しい対比と沈黙の世界/「ファースト・マン」感想

2月8日に公開された「ファースト・マン」を観た。 とてもいい映画だった。とてもいい映画だったと誰かに話したくなったが、とてもいいという言葉だけではあまりにも足りなかったので、ここに書くことにする。 デイミアン・チャゼル監督の作り出すコントラス…

きっと忘れるので、どうでもいいことを書く

僕は記憶することが苦手だ。あるいは、記憶を思い起こすことが苦手だ。どちらかはわからないが、とにかく物事を後から思い出すことがうまくできない。うまくできない、というのは主観であり、相対的なものだ。他の人はもっとうまくやっているように見える、…

思考と嗜好の蓄積と指向について

卵が先か鶏が先か。 以前たしか、摂取したものの蓄積で人格は作られるのかもしれない、というようなことを考え、書いた。 しかし、それは本当は逆なのかもしれない。 人格やら自身の核となるものが予め存在していて、それが無意識に働きかけ摂取するものを決…

物語を摂取することとその弊害について考えた

物語を摂取することとその弊害について。 僕は小説も音楽も映画も演劇もゲームも紙芝居も絵本もアニメも好きだ。 そういえば、君はDDなんだねと昔付き合っていた子に言われた。誰でも大好きの略で、それは僕の短所でもあるらしい。しかし節操がないわけでは…

2019年はブログを書いたり真剣に生きたり/今週のお題「2019年の抱負」

今週のお題「2019年の抱負」 新年が始まった。 今日は一月七日なので、もう元日から1週間が経つ。一年のおよそ52分の1はすでに終わったのだ、と考えると、まさに光陰矢のごとしだ。 今日から仕事を始める人も世には多かろうが、僕は先週から少しずつ細々と…