花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

思考のごみばこ

自分自身を取り巻く相対性について。

幸福論とかそういう難解なものを語りたいわけじゃないのだけど、たまに自分の幸せが何なのか考えてしまったりする。

それは相対的なものなのか、あるいは絶対的なものなのか。

このところ人と接する機会が増えて、それに伴って自分を相対的に眺める機会が増えた。

昨晩は、ひとまわり年上の男性と話した。その方は賢そうな顔立ちをしていて、実際に頭の回転も速かった。会話をしているときも僕は追い付くのがやっとで、随分とつまらない受け応えをしていた。

12年というのはどのくらいの歳月なのか、僕はよくわからない。 社会に出れば、そのくらいの年齢差はいくらでもあって。5年前の僕なら、もっと年上の相手と対等に話していた。もちろん、それは背伸びをしていた部分も大きいのだけれど。 12年、赤子が小学校を卒業するくらい、そのくらいの時間があれば、能力に大きな差があっても仕方ない。そんなふうにも思う。

一方で、12年なんてあっという間で、時間と能力の成長は大きく関係しないような気もする。つまり僕は単純に劣っているのかもしれない。

幸福も能力も他の色々も、他人と比べる必要があるのかはわからない。 結局のところ、世界は事実に対する認識がすべてで、相対的な評価というのは認識というフィルターを構成するごく一部の要素にすぎないのだから。

ひさびさに何かを書こうと思ったのだけど、思考がうまくまとまらず、自分でも何を考えているのか、何を書いているのかわからない。世の中はわからないことだらけだ。ただ、わからないことだけはわかる。これは数少ない、絶対的で確かなことだなぁ、などと思う