花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

生きるのは楽しいとかそういう強がりについて

ふと気がつくと年を取っていて、もうとっくに子供じゃない年齢になっている。

10代の頃は、電車に乗っている疲れた顔した大人たちを、自分とは別の種類の人間なんだって思ってた。
スーツを着て働く自分の姿も想像できなかったし。

それから10年経って、僕ももう立派な大人になって、でも全然立派じゃなくて、疲れた顔した大人たちの仲間入りを果たした。
あまり疲れた顔はしないようにしているけれど、それでもたまには、昔なりたくなかった大人になっている自分がいて、少し苦しくなる。

わかったこともある。少年がなりたくなかった人が、本当はとても偉かったり、すごかったりするということ。
かっこいい大人もたくさんいるのだということ。

最近は、周りの人の愚痴や弱音を聞く機会が増えた。
年齢的に、仕事や私生活で色々悩みを抱えることが多くなるからだろう、と思う。
彼らからは疑問を投げかけられる。ざっくり言えば、「生きるのって楽しい?」的な質問だ。あるいは、「仕事とか嫌にならない?」みたいな。

僕はスナドリネコではないが、平気なふりをするのが得意な生き物だ。(スナドリネコが平気なふりをするのが得意、というのはおそらく僕の偏見に過ぎず、わかってくれる人も多いだろうがスナドリネコは少しかわいそうでもある。)
だから、いつも悩みなどなさそうに振る舞うし、仕事も人生も楽しんでますみたいな顔をするんだ。

それは嘘つきがつく嘘のようなもので、自分自身でも半分信じてしまっているが半分は強がりなのだと思う。
頭痛薬の半分が本当に優しさでできている可能性が極めて低いのと同じように、100%楽しく生きている人もいないのではないか。だからきっと僕も強がって平気なふりをしているだけなんだ。

本当はかっこいい、とか、見えないところで頑張っている、とか、そういったものも大事だし大事にしたいけど、僕はやっぱりかっこつけていたい。かっこよくはないけど。努力の話だ。
なりたくなかった大人に、ならないように。かつての自分を、失望させないために。

そんなわけで、明日からもちょっと明るい顔をして、胸を張って歩いて、生きるのは楽しいと言い張ろうと思う。
すれ違った少年に「あの大人かっこいい」と思われたい。僕はたまに、「あのおじさんかっこいい」とか思うから、ありえない話じゃないはず。