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花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

自分と向き合いたい火曜日の夜

自分のことを書こうと思う。誰の役にも立たない記事だ。でも、僕のために書く。
「自分のことは自分が一番わかっている」という、本当は自分のことさえわかっていない人がよく使いそうなセリフを、今日使ってしまったから。

実際僕は、自分のことをわかっていない。
明日も明後日も、僕は自分のことをわかっていないはずで、それでも、少しでもわかってほしいと今日の僕は考えている。

自分が何に興味を持って、何が好きで、何に熱中することができて、何のために日々を過ごすのか。聞かれたら答えられない。
昔からそうだった。何かを書くにしても話すにしても、自分のことを言葉にするのが一番苦手だった。

好きな事のはっきりしている人や、夢を持っている人がうらやましかった。今でも憧れる。
小学二年生の時に、地域のテレビ局が学校を巡ってインタビュー番組を作っていた。一人一人が自分の夢を話すのだ。確か、僕は本屋になりたいと言った。本が好きだから、と。本当は、そこまで本が好きだったわけでもなければ、本屋になりたいなんて少しも思っていなかったはずだ。
思えばその頃から、あるいはそれよりも前から、ずっと自分のことなんてわかっていなかった。

学生時代、少しは大人になったと思った。でも、履歴書は自己PRの部分だけ、何時間かけても書けなかった。別に、こんな人間じゃなきゃいけなかった理由もなければ、どんな人間になる理由だってこじつけられる。そう思っていたから。

いつからか、僕は立派な大人に見られたいと思って嘘をつくようになった。つまり、自分を飾るようになった。
いつからか、僕は人が好きになった。昔は嫌いだった。いい人もいれば、悪い人もいるから。好きな相手には、よく思われたいのが人間だ。僕も、精一杯見栄をはるようになった。大切だった人に、あなたのことがわからない、と言われた。僕だってわからないさ。

考えるほどに、なぜ考えるのか、その先に何があるのか、そういったわからないことが増えていく。
このやりようのない心の有り様は、僕の火曜日のイメージに似ている。月曜日は憂鬱で、水曜日は調子が良くて、木曜以降は週末に向けて気分が上がる。そういうものだと、僕は捉えている。火曜日だけは、何もないのだ。

わからないことはわからないままにしておくといい。そう思うこともある。
例えば宇宙についてなんて、僕はずっと、知らないままでいたい。その方が想像の余地があるから。
だとしたら、自分のわからないところは、これから想像する余地があるのだろうか。もしそうなら、わからないのも悪くない。

いつも言い訳ばかりだ。でも、これも自分と認めることにしよう。