花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

十年後の八月もまた新しい音楽を聴き続けたいと願う、夏の雨の夜

30代を過ぎると、人は新しい音楽を聴かなくなる。というネットニュースが数年前から流れている。 33歳だったり、30歳と半年だったり、それぞれ何かしらの調査による裏付けがあってのものなのだろうけれど、いずれにせよ僕らは歳を重ねると知らない音楽への興味を失ってしまう。かもしれない。

それは困る。非常に困る。僕にとって音楽は食料のようなもので、つまりはエネルギー源だ。幸せな時間を思い出したとき、その多くはお気に入りの音楽を聴いているときや、出会ったときや、それを生み出したアーティストへの思いを馳せているときなのだ。新しい音楽への興味が本当になくなってしまうとしたら、僕はきっと同時に生きる気力の一部も失ってしまう。

あるいは、それが歳を重ねるということなのかもしれない。歌が世界を救うこともある、なんていう幻想を幻想と認めてしまうことが大人になるということなのかもしれない。でも僕の中のロックな人格は、決してそれを許さないと言っている。身近な世界、世の中の見え方、音楽はそういうものを良い方向に変える力があると信じている。それは世界を救うことと言えるじゃないか、と。ならば抗おう。

世には大人になれない大人を指す、ピーターパン症候群というものがあるらしい。翻って、大人になることへの抵抗を示すと、ピーターパンだと揶揄されることもある。僕の中のピーターパン的人格は、ピーターパン上等!と啖呵を切る。もちろん大人になることは大事さ。ただ、それは相手を敬ったり、状況に応じた立ち振る舞いをしたり、責任とその果たし方を覚えることだと思う。もしも大人になることが大好きなことを忘れることだったり、綺麗事を笑いとばすようなことだというのなら、それは間違っている。音楽を楽しむことに年齢は関係ないし、世界は変えられるし、鮮やかな青を見る大人がいたっていい。そういう面では、僕らは子供らしい無邪気さを持ったままでいいのだ。大切なものを守ることができるのも、きっと大人の特権だ。

と、いうわけで今夜は今まで聞いたことのないアーティストのCDをTSUTAYAでたくさん借りてきた。 YouTubeiTunesがどれだけ普及しようと、CDと歌詞カードにはそれに勝る良さがあるよね。 たくさん音楽を聴いて、もっとずっと好きでいよう。

とりあえずこれを書きながら初めて聴いているフレデリックが素晴らしく良い。CD買おうかな…