花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

星は自分がつぶれないために輝く、という話を聞いた。

僕は星が好きだ。宇宙が好きだ。でも好きというにはあまりにもそれらについて知らなすぎるので、少し学ぶことにした。

gaccoという動画学習サービスがある。ウェブを通じて大学等が学習機会を提供してくれる素晴らしいサービスだ。
そこで、観測的宇宙論入門という講座があったので受講することにした。

第一週の第一回目の動画で、星が光るのは、自らの重力によって潰れてしまわないためだ、という話がなされていた。初っ端から初耳。
潰れないために光るのか、光るから潰れずにいられるのか、おそらく正しいニュアンスとしては後者であるような気がするのだけれど、僕はこの「つぶれないために輝く」という表現がとても気に入った。

昔、たしか中学生の頃、古いドラマの再放送を見るのが好きだった。そこで流れていた、海援隊の「新しい人へ」という歌の歌詞を思い出した。世代じゃないけれど、この曲は覚えている。この歌は、君が選んだのは自転車のような生き方なんだね、と歌っている。止まれば倒れる。決して楽ではない。

きっと、世の中の人の多くは、そういう生き方をするのだろう。
それはまるで自転車のようだ。ペダルを漕ぐのをやめればそこで倒れてしまう。
それはまるで恒星のようだ。光るのをやめればつぶれてしまう。

きっと僕らは、ダイナモのついた自転車か、空に光る恒星のようなものだ。
(ちなみに、肉眼で夜空に見える星は、ほぼ全てが恒星らしい。これも知らなかった。)
倒れないために漕ぐ。つぶれないために光る。

必死に、つぶれないように生きていれば、いつの間にか光っていたりする。
その光は、もしかしたら自分には見えないかもしれないけれど、誰かを照らしている。そんな風になればいい。初めから誰かを照らそうと気負って生きる必要はない。
そんな風に考えて、日々を過ごしてみようかと思う。

僕は、自分の生きる意味とか意義とか、そういうものをどうしても持ちたくなる人間みたいだ。たぶん同じような人は多いと思う。そしてそれは、何かを成さねばならない、というどこか強迫観念めいたものになることもある。
それが自分を追い立てて、良い場所へ連れて行ってくれることもあれば、そうじゃないこともあって。だからたまに宇宙のこととか、耳にした言葉とか、そういうものについて考えて、肩の力を抜く。そんな週末前夜。