花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

レポートを書きたいとき、ブログを書く/お題「私がブログを書きたくなるとき」

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

幼い頃、ポケモンのゲームをやった。楽しかった。
あれは確か、データの保存を「レポートをかく」ことで行うことができた。当時はレポートというものが何かを知らず意味がわからなかったけれど、今は納得できる。うまい表現だ。

目の前のことに行き詰まったとき、僕はブログを書きたくなる。

本当は、ブログでなくてもいい。ただ書くという行為ができればいい。だから、本当にしょうもない内容は、メモ帳に書き捨てる。でも、そのメモは捨てずに取っておく。

書くことで、今の自分を残しておくことができる

これから先の自分が、素晴らしい人間になろうと、あるいは素晴らしくダメな人間になろうと、書き残したブログやメモがあれば現時点の自分を思い出すことができる。そのときに感じていたこと、考えていたことを拾うことができる。

以前何かの本で読んだ話。目覚めは生のメタファーであり、眠りは死のメタファーである、という論があった。あれは哲学に関する本であったか。
日々を連続するものとして捉えるのではなく、生と死の繰り返しであると捉えるのならば、今日の自分が明日も同じであると証明することはできないし、同じである保証もない。

記憶という、自分を証明する確からしいものはあっても、それはすぐに薄れてしまう。僕は昨日食べたものを思い出すことができない。

だから、書くことで保存しておく。まるで「レポートをかく」だ。

「レポートをかく」

さて、お題は「私がブログを書きたくなるとき」だった。
先ほど、目の前のことに行き詰まったとき、と書いたけれど、これはもっと具体的に言うことができる。

つまりは、「レポート」を書きたくなったときだ。
それは、強敵を目の前にしたときや、少し疲れて休みたいとき。何かいいことがあった後や、これから起こることに胸が躍るとき。そんなとき、僕はブログを書きたくなる。

それは、多分バックアップを取ることにも似ている。
コレサワさんの「バックアップ」という曲が、まさに心境に近い。


コレサワ「バックアップ」【Music Video】

いい曲。素敵な音楽に出会ったときも、僕はブログを書きたくなる。