花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

学びを得られない学びはないものとする。

学ぶべきことが多すぎて、悩ましい。

何かを学ぼうというときに、最善の方法がすでに明らかになっていることは、少ない。大抵は、それぞれの道の先にいる人たちが、独自の経験をもとに「こうするといいかもしれない」程度のことを語っているにすぎない。その情報は正しいこともあれば、おそらく間違っていることもある。でも、初学者にはその正誤を判断することはできない。結局は、不確かなままで学び始めるしかないのだ。それは決して悪いこととも限らない、とは思う。

何が言いたいかというと、怖いのだ。砂漠のオアシスを目指すようなもので、できるなら歩くことさえ避けたい。でも、この場所に留まるわけにはいかないから、オアシスのありそうな方向に向かって歩く。すれ違う人に、この先にあるよと言われても、自分がたどり着くまで恐怖は拭えない。そんな中を歩き続けなくてはならない。

歩くことを楽しめるようになるしかないか。楽しめないときは多分、いろいろといらないことまで考えすぎなんだ。

何かを学ぶとき、次のような仮説を立てておけば、少しは気が楽になるかもしれない。

「ただし、学びを得られない学びはないものとする。」

何事も何かしらの意味は持つ。とりあえず、やってみよう。