花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

勝手な想像だけど、背景が美しいと思うんだ

今日は、MacGIMPを入れた。普段はWindows機で古いPhotoshopを使っているのだけど、PCが重くて。Macで画像加工をしたいけど、使う頻度に対してフォトショは高いし。

誰かが作った拡張機能を追加できる、という機能には、他のアプリケーションでも散々経験しているのだけれど、毎回感心する。
もちろん、高機能なソフトウェアが無料で利用できることにも、同じく心が動く。

僕がそれらに心を動かされる理由は、多分こうだ。

本来であれば、仕事には報酬が支払われる。それがこの社会の仕組みで、企業であれば営利を目的とするのが一般的だ。そうでない企業であっても、運営のためや規模の拡大のためには利益を求めるし、普通に考えると無料で何かを提供するということはほとんどありえない。あったとしても、そこには何かしらの目的がある。見込み客の獲得のためだったり、あるいは個人情報を取得するためだったり。でも、ネットの世界には、そうでないものがある。

ウィキペディアのようなものが僕は好きだ。あれはきっと、人の善意が集まって価値を生み出したものだ。本当は違うかもしれないけれど。

つい最近、何事もシンプルにすべきだという思いをあらためて感じた。複雑さはいろいろな物事をつまらなくするから。

昨今か、もっと前からなのかはわからないが、少なくとも今は、他人の善意を信じてばかりではいられない世の中なのだと、僕たちは教わる。
誰もが利害関係を持っていて、意識していて、純粋さを欠いている。

僕が確か小学生の頃、クラスの真面目で誠実そうなK君は他人に自分の罪をかぶせた。大したことじゃなかった。僕は一部始終を見ていたのだけど、実際に彼が何をやったのか、誰が損をしたのかは、もうすっかり忘れてしまった。その程度のことだった。でも、彼は自分を守るために嘘をついて、他の誰かに濡れ衣を着せた。もしかしたらそれを着たのは、僕だったかもしれない。

いろいろな人の思惑が重なり合って、そこに自分も重なって、まるで混ぜ合わせた色のように濁って、複雑さを増していく。世の中はそういうものだと、僕たちは知らず知らずのうちに認識していく。

その中で、人の善意が結晶化したかのような仕組みや、情報や、コードがあって、僕はそれらをとても美しいと思う。色のない、形のわからないものであっても、それには美しいという言葉がふさわしい気がするんだ。

でも、正直gimpは使いづらい。