花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

流れるプールの流れを変える決意

また流されている。
ある人が言った。人生は川のようなものだと。とめどなく流れ、流され、別れて、つながる。

人に会うと、その人の目を通して自分を見つめ直すことができる。
自分で自分の肩甲骨を眺めることができないように、僕は自分のことを本当は把握できていない。病気になったときに医者にかかるのも、その証拠だ。他人を通さずには、自分を正しく判断することもできない。そういう側面が、確かにある。

僕はまた、自分を取り巻く状況に流されている。今日、人と会って気づくことができた。

流れるプールでは流れに従うべきだ。状況にも流れがあるのなら、それに従う方が楽なのは間違いない。でも、その流れ着く先に自分の求める現実があるのかどうかだけは、しっかりと見極めなくてはならない。そして、もし流れの先にある未来が求める未来と違うのなら、流れに抗わなくてはならない。
流れるプールの流れに抗うのは容易い。でも、状況というものの流れはもっと早く、強い。だから、気づいたときにはすでに流されていたりする。
流れるプールでは、自分もその流れを作っている要因になる。状況も同じだ。状況に流されているとき、僕も状況の一部となっている。

今まさに、僕は状況に流されている。それも、不愉快な状況に。

今までは、状況には流されるままでいた。他にどうしようもないと思っていた。でも、もうやめにしよう。
人生や世の中が川のようなものだとしても、ときに逆らったり、自分で流れを作ったりすることはできるはずで、僕はそうありたいと願っている。
状況を変えよう。そのためにここにいるのだから。