花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

夜間飛行に学ぶ、実在しない存在の価値

「本当に大事なものは、目には見えない」僕は幼い頃から、サン=テグジュペリが好きだった。彼はずっと、僕にとって「星の王子さまのひと」だったのだけれど、最近になって、認識を改めることとなった。夜間飛行も素晴らしい。

 

思考を垂れ流す。

サン=テグジュペリの夜間飛行では、草稿から多くの文章が削られたことが確認されている。それ以前でも、作品としての完成度は十分に高かったにも限らず、彼は自分が生み出したものを削ぎ落とした。それにより生まれたものは、描かれていない実在する世界。読者はその背景を感じ取り、他の作品と一線を画する、この作品だけの本当の世界を感じるのかもしれない。
僕達は、目に見えるものの価値を大きく見積もりがちだ。実在を証明できないものに対しては、それを測るものさしをもたないからだ。でも、描かれていない世界がそこに存在したことと同じように、目に見えなくても現実に影響をもたらす要素はあるように思う。そして、それは決して無視できるような些細なものではない。
自分に置き換えてみる。言えることは、二つ。ひとつは、考えること、考えた結果として様々な道に迷いさまよったこと、それは無駄にはならない。経験や背景が、僕たちの今後生み出すものや紡ぐ言葉を変えていく。
もうひとつは、読者に対して、ーーつまり僕の場合は僕自身や周囲の人間、これから先僕が影響を与えたい人に対してーー何かを提示したいなら、削れるところは削るべきかもしれない、ということ。人間には想像力があるから、僕が用意したすべてを伝えなくても、思考したこと、内に秘めた思いは言葉以外の形をもって彼らに伝わる。あるいは、彼らの中で補完される。人は多分、想像の余地があるものを好む。宇宙であったり、未来であったり。そこに不安でなく希望が存在すると思えるのであれば、すべてを明らかにされるよりも、想像や選択による可能性があったほうがいい。