花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

オイラー図と概念の世界

世界の解釈と、金も能力も手に入らない経験の価値について書こう。

 

わかりあえないって、悲しい。

市民は政治家を批判し、サラリーマンは上司や社長を批判する。どうしてなのか。

上に立つ人間が負わされた義務と責任の重みを、下に立つ者は想像しない。

偉そうにするのだって、そうせざるを得ないからかもしれない。歴史が言うには、最良の王は愛される王だが、次に良い王は恐れられる王だ。どうして、わかろうとしないのだろう。

一方で、上にいる人間も、下にいる者たちの不安や葛藤をわかっていない。求める幸せの形は人それぞれで、必ずしも同じ方向にあるわけじゃないのだと、理解できていない。こっちは、わかったふりをして目を背けてることが多い。

そもそも人に上も下もなく、あるのは肩書きという名の、ただ責任の所在を示す符号だけだ。同じ人間なんだ。

 

僕らは自分の世界の中で生きている。人々の世界を2次元に描くと、それは集合を表す図のような形をしている。ベン図やオイラー図と言うらしいその図は、複数の円が互いに重なり合って全体を形作っている。

お互いに理解し合っている、円と円の重なり合った場所はごく僅かしかなくて、それなのに、相手の抱える他の世界を知ろうとはしない。想像しようともしない。だから分かり合えない。

 

お互いに一歩ずつでも歩み寄れたなら、僕らの世界は広がる。そうしたらきっと、双方が幸せになれる。

経験が増えて、いろんな立場に身を置いて、こんな風に思えるようになった。今までは想像できなかった人のことを、少しだけど想像できるようになった。だから僕は、これから先の苦労も、新しい世界を知る機会だと信じたい。

まぁ、この考えでさえ、僕だけの世界に過ぎないのだろうけれど。誰かが想像してくれたら嬉しい。

もしもあなたが想像してくれたなら、僕にも新しい世界を教えてほしい。