花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

2019年はブログを書いたり真剣に生きたり/今週のお題「2019年の抱負」

今週のお題「2019年の抱負」

新年が始まった。
今日は一月七日なので、もう元日から1週間が経つ。一年のおよそ52分の1はすでに終わったのだ、と考えると、まさに光陰矢のごとしだ。

今日から仕事を始める人も世には多かろうが、僕は先週から少しずつ細々とした仕事を始めてしまっていたため、あまり実感がわかない。こういうのは、しっかりと切り替えをしてやるべきだったなぁと少し反省。

昨年は、思いついたあれこれをみんなEvernoteに記録していた。だからブログはあまり、というかほとんど更新もしなかった。
しかし、そうしてみると、ブログと比べて書いたものを読み返す機会が圧倒的に少ないことに気がついた。

もちろん、読み返すほどの価値がない文章、文章と呼ぶのもアレなものが大多数なのだが、それでも、その時々に何を考えていたのか、何を感じていたのか、そういったことを思い起こす手掛かり足掛かりになる文字列を、僕はもう少し大事に扱いたいと思った。

そんなわけで、今年はもう少しブログを書くことにする。したい。できるかどうかはわからないが、新年の抱負というのは大抵そういうものだ。

真剣に生きる

真剣に生きること。今を生きること。これらのことについて、向き合おうと思う。

昨年、僕はそれを問われた。真剣に生きたことがあるか、今を生きるという言葉を知っているか、と。
きっと、僕の人生においても該当する瞬間はあった。目的のために、手段を選ばず必死に足掻いたこともあった。色んなことに全力で向き合っている日々があった。

その時間は、楽でもなければ、楽しくもなかった。でも、生きるということは、そういうことなのかもしれない。

立派な人間、立派な大人になりたかった。誰かを支えられる人になりたかった。今は、自分ひとり分だけの責任を負って生きていくことに慣れてきてしまって、他の誰かの人生を背負う覚悟もなければ、器でもないのかもしれない、と思い始めている。

だから、今の僕は生きてはいるのだけれど、そこに意味や意義、生きがいと呼べるものがあるのかは疑問だ。
この状態を望む僕もいるが、一方でここから脱したいと考えている自分もいる。今年は後者の声に耳を傾けようと思う。
何故ならば、そちらの自分の方が好きだからだ。

楽をしているよりも必死な方がかっこいいし、汗や涙を流している方が美しいし、僕はかっこよく美しく生きたいと今でも願っている。

自分なりの仕事の目的

何かに必死になるためには、その何かが自分にとって大事な物事である必要がある。
自分にとって大事じゃないことはすぐにわかるが、大事なことを見つけるのは案外大変だ。

何かに必死になる、というとき、僕にとってその対象はほとんど仕事なのだけれど、目的はその先にある。自己成長や金銭的報酬、あるいは自社・取引先の繁盛や自身の老後の安定、あるいは社会貢献、など。何を目的にすれば必死になれるか、と考えるとなかなかに難しい。

昨年読んだ行動経済学の本によると、人の行動・思考には双曲割引なるものがあり、目先の利益を将来の利益の何倍にも高く見積もってしまうらしい。
僕は楽をしたがる人間だから、よほど強い動機がないと割り引かれて怠惰に負けてしまう。

本来動機というものは、外部要因に左右されない自分の中に求めるべきなのだろうけれど、僕にはしばしば自暴自棄的な感情が表れるので、外部に求めた方がいいと考えた。また、社会貢献は立派だしモチベーションにもつながるけれど、自分がやらなくても誰かがやるだろう、と思ってしまう。
よって、僕の仕事の目的はよく知る取引先や関係各所の利益とする。僕の努力次第で、生活がより良くなる人たちがいる。僕にしかできないこともある。特に、仕事が面白くてたまらないと語っていた初老の男性。あの人のために頑張ろう。できること全部やろう。

新年の抱負なんて年末には忘れていることの方が多いし、僕も僕自身に期待していないけれど、それでも立てないよりずっとマシだ。
2020年の僕に笑われないように、悲しませないように、できることからやっていこう。