花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

新入社員、あるいは初心を思い出した自分へ

新年度が始まり、新社会人をはじめとする新しい環境に身を移す人へ向けたメッセージを多くの人が発信している。
最近になってようやく始めたツイッターのタイムラインや、たまたま見つけたブログのエントリーにもそれはあって、なんだか自分まで勇気付けられるような感覚がある。
僕も触発されて、そういう人たちに対する考えを述べつつ、自分の人生について考えたいと思う。
誰も読まなかったとしても、いつか自分を励ますことになるかもしれないから。

社会に出て思うこと

よく、新入社員は3年はやめるな、などと言われるらしい。僕もどこかで実際に耳にしたことがある。でも、最近では、経歴や成長よりも自分自身を大事にするべきだ、という声も大きいように思う。
僕は、どちらかというと後者の意見に賛同する。自分はもっぱら前者を実践し、我慢や苦労を重ねているのだけれど。
人はみんな違っていて、それぞれの感性がある。僕にとって正しいことや、世の中の多くの人にとって正しいことが、誰かにとっては正しくないこともある。

大切なのは、自分がどうしたいかを決めることだ。

誰が何を言うから、などという理由は関係ない。もちろん人の意見を参考にするのは正しい。でも、最終的な決断を下すのは自分であって、他の誰でもない。

僕は、進学の際には教師に志望校を反対され、進路を悩んでは恋人に反対され、学校を卒業してからはベンチャーに入り、それから起業もした。人生における節目には、周りの人たちの反応はほとんど3種類だった。反対か、心配か、無関心かだ。だから、次第に誰かに相談することもなくなった。

今の生活は豊かではない。大変なことも多いし、失ったものも多いし、手にしたものは思ったより少ない。隣の道を選んでいれば、きっと別の人生があっただろうと思う。
それでも、後悔はしていない。これはきっと自分の心に従ってきたからだ、と今になってみれば思える。

責任を負うこと

自分の意見を通すのは、考えなくてはいけないし、責任を負わなくてはいけないし、疲れるし、孤独だ。できることならしたくない。誰かの意見に従っていれば、少なくともすべての責任を自分一人で背負う必要はなくなる。
嫌なことからは逃げたくなるのが人間だ。僕は責任を負うのが嫌いだから、すぐに逃げたくなってしまう。

でも、責任を負うという行為は、一方で大人の特権だとも思うのだ。
それこそが社会人に許された楽しみではないか、と。
だから、嫌々ながらも責任を負う道を選んだ。しんどいことが多い人生よりも、楽しいことがない人生の方が嫌だったから。

自分らしく生きようなどと最近世間は言うけれど、その自分らしさには責任が伴うことを覚えておかなくてはならない。 だけど、責任を負うのは決して悪いことじゃない。少しの覚悟が必要なだけだ。

人生に点数をつけるなら

もし人生がテストのようなもので、それに点数をつけるとしたら、今の自分がどうあるかが採点基準になるのだろうと思う。 今、自分や周囲の人が最高に幸せなら、それはきっと満点の人生だ。途中の選択がどうであれ、その場所にたどり着ければいい。 だから、いろいろ悩んだり間違ったりしても、その先に正しいと思える何かが見つけられたのなら、それでいいと思う。

あとは、生きてさえいればそれだけで点がもらえる。気がする。どうだろう? もしも誰にも認めてもらえない人がいたとしても、僕はその人が生きてさえいれば褒めてあげたい。きっと同じように思う人が、世の中にはたくさんいるはず。

とりあえず戦ってみる

最後に。知り合いの映画通に勧められて観た邦画『桐島、部活やめるってよ』より、とっておきのセリフを。

「戦おう、ここが俺たちの世界だ。俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから。」

壮大な何かを成したりするわけでもなく、時に自分の無力さを感じたりもしながら、僕らは生きている。
それでも、目の前のことに真剣に立ち向かうことって大事だし、すごく素敵なことだと僕は思う。
戦ってもまるでかなわなくて、結局逃げるしかないこともあったりする。でも、それはそれで悪くないと思う。

だから、明日からもまた戦ってみよう。