花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

私の頭の中のスポンジ

同じ事柄について、何度も考えてしまうことはないだろうか。
考えを巡らせているとき、ふと以前にも同じことを考えていたなと思い出す。
僕の場合は、仕事のことや人生のことなど、明確な答えの出ない考え事をしているときに特に多い。
これは無駄なことなのかもしれない。というか、多分無駄なことなのだ。と、思っていた。
しかし本当に無駄なのか。

無駄なことにも意味を見出そうとするのが人間だ。あるいは、それは無駄な行為をしてしまった自分から目を背けているだけなのかもしれない。 しかしここでは、そうじゃないと信じてみたい。

洗剤とスポンジを、思考と脳に置き換えてみる

僕は入浴前に体を洗う。そのときに、スポンジを使ってボディソープを泡立てる。同じようにしている人は、スポンジを思い浮かべてみてほしい。
僕は食器を洗うときはたわしを使う。もし食器を洗うときにスポンジを使う人は、そのスポンジを思い浮かべてみてほしい。

スポンジが吸い込んだ洗剤は、一度水を含ませて絞った程度では抜けきらない。だから、何度か水やお湯を含ませて、絞る。繰り返す。

その繰り返しは、まるで思考の堂々巡りに似ていないだろうか。
洗剤は思考、スポンジは脳の働きだ。

同じように巡る思考もアウトプットも、何度も繰り返すことで段々とクリアになっていく。そうすることで、また新しいアイデアや知識、考えを吸収することができる。
そんな風に思えないだろうか。

応用:例えば失恋したとして

例えば、恋人に振られたとする。悲しいことに、僕にはその心配はないが。

もしそんなことがあれば、きっとしばらくは、悲しみや切なさに胸を締め付けられたりする。
あるいは、幸せだった頃の思い出を何度も思い起こしてしまう日々があるかもしれない。 でも、それは一時的な痛みにすぎない。だってそれは、スポンジから洗剤を抜く作業のようなものなのだから。元の自分に戻るための、いわば自浄作用が働いているにすぎない。だから大丈夫。綺麗になったら、また次の使い道を考えればいい。