花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

恋より皺より、きっとずっと深いもの/お題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

そうか、敬老の日か。
今日は別のことを書こうと思ったのだけど、はてなのお題を見て、自分の祖父母の話を書きたいと思った。

父方の祖父母の記憶はない。幼い頃に会ったことがあるようにも思うが、それすら定かではないほど記憶は遠く、薄い。
だから、これから書くのは母方の祖父母の話だ。

祖父は、僕の憧れの人だった。
強くて、寡黙で、よく遊んでくれた。病気で止めるまではタバコを吸っていて、幼い日の僕は、田舎でかぐその匂いが好きだった。
脳梗塞か何かの影響で、ろれつがうまく回らないみたいだったけれど、僕はそんなこと全く気にしなかった。
何度やっても腕相撲では敵わなくて、子どもって単純だから、そんなことで尊敬していたりした。今思えば、もっと尊敬できるところがたくさんあった。当然のことだけど。

祖母は、優しかった、と思う。僕はおじいちゃん子で、祖母のことも好きだったが、いつも祖父とばかり一緒にいたような気がする。
だから、祖母のことははっきり覚えているが、一緒に何かをした記憶はほとんどない。
昔は怖い人だったのだと、母から聞かされていた。僕はいつも笑顔の祖母しか知らなかったけれど、確かに、そんな面影はあった。

祖父が他界したのは、僕が中学生の頃だ。近しい人が亡くなるのは、それが初めてだった。
入院していた病院から連絡があって、夜遅くに家族で出かけたのを覚えている。

病院に着いて、息を引き取った祖父を前にして、僕は、自分の心が思ったよりも穏やかなことに気がついて、なんとも言えない気持ちだった。
悲しみは、もっと抑えようもなく溢れるものだと思っていたから。

実際は、その後数週間食欲もなく、自覚できていないショックが大きかったようなのだけれど。

それでも、そのとき、僕は泣いた。祖父の死が悲しかったからじゃない。
祖母の言葉が、悲しかったからだ。

祖母は、涙を流して、こういった。
「あなた、寝たふりをしてるんじゃないわよ。」

その姿が、声が、あまりにも切なくて、悲しくて。
人を想うってこういうことなんだろうなと、僕は感じた。
それは、恋よりもずっと深い何かだった。

大人でも、おじいさんでもおばあさんでも、別れが泣くほど辛かったりする。
きっと辛いだけじゃないのだけれど、他に表現できる言葉が見つからない。
そのときは暗くて切ない感情で胸がいっぱいになったけれど、落ち着いてからは、それが同時に、ひどく美しいものだと思えるようになった。

さて。今頃は天国にいるであろう二人は、今でも僕の憧れの人たちだ。

そして、立派になった孫の姿を見たら、どう思うだろうか。

と思ったけど、まだまだ立派とは程遠いから、もう少し頑張らなきゃ。
見守ってくれてなくていいから、いつか気まぐれで、(僕が活躍しているときに)覗いてくれてたら嬉しい。