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花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

自己観察日記 #2

 あらゆる行為には何かしらの目的がある。これはどうやら確からしい、と僕は感じている。

 本を読むという行為を日課にしたい、と昨年末の僕は考えていた。そして、今年に入ってからしばらくの間は、ほぼ毎日、本を読む日々を送っていた。
でも、その行為の目的が何かをあらためて考えたとき、本当にこれで良いのかという疑問が浮かんできた。本を読むとき、僕は知識の取得や技術の習得を目的にしている。あるいは、単純に娯楽としての面白さや、脳の癒しを求めて本を読むこともある。今日や昨日の自分は、はたして、その目的を果たせているだろうか。

 本を読んで、言葉の表面をなぞるだけでは意味がない。それは例えるなら、見えているだけで見ていない、世の中に関心のないときの目みたいなものだから。
 ここ数日は時間の使い方に関する本を読んでいたけれど、それが自分に影響を与えなくては、つまり僕が変わらなくては、変わるための行動を起こさなくては、本を読むという行為の目的は果たされなかったことになる。

 一方で、情報や知識や言葉の羅列というものは、それ自体が何かしらの意味を持っているのかもしれない、とも思う。
 炭酸水に何かを入れたときみたいに、あるいは静かな川を船が渡るときのように、それは脳のどこかを刺激して、波を立ててくれるのかもしれない。

 結局はわからないのだ。
 結局という言葉も、わからないという言葉も、使うときには抵抗がある。それは思考を止める言葉だからかもしれない。かもしれない、という言葉は嫌いじゃない。嫌いじゃない、という表現も嫌いじゃない。どちらも曖昧さを残していて、決めつけないから、責任を負わなくてもいい。
 こんな言葉遊びのような発見も、何かしらの刺激を得て生まれた感覚なのかな。

 とにかく、僕は変わらなくてはならない。
 そのためには行動が必要で、でも僕にはエネルギーの保存則のようなものが働いていて、だから行動のためには誰かか何かからエネルギーを得なくてはならない気がしている。
 とにかく、本を読むとしよう。