花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

難しいと感じることの多くは面倒なだけかもしれない。

 時間管理が下手だ。何とかしようと本を読もうと思いつつも、そのための時間を確保することができない。どうしたものか。日本人の生産性は低いと最近耳にする機会が増えた気がするが、僕は生産性の低い労働者の代表とでもいうべき生産性の低さを持つ人間だ。自慢にならないにもほどがある。  自分の生産性の低さ、時間管理の下手さの原因の一つに、先延ばし癖がある。やるべきことを頭の片隅で認識しつつ、その他の部分がそれを拒否するのだ。だから、本来やっておくべきことが先延ばしされ、一日の最後になって時間を圧迫する。

 自分を改善するためには、自分を知る必要がある。どのような思考の癖があるのかを把握すれば、それに対する策も練ることができる。その意味では、今日は一つ発見があったと言えよう。僕は、難しいと感じることを避ける傾向にある。きっと多くの人に当てはまる傾向なのではないか、ともおもう。もしそうだとしたら僕は少しだけ気が楽になるけれど、気が楽になるというのは自分に甘くなるということだから、世の人たちには困難に立ち向かう人であってほしい。  さらに、困難について考えてみた。多くの場合困難なこととは、面倒なことと同義だ。手順が複雑で先が見えず、まるでそれは絡まったコードのような仕事だ。絡まったコードであれば、それは必ず解くことができる。難易度の高いパズルと同じだ。昔、キャストパズルというよくできた知恵の輪にはまった時期があった。最高難度のパズルは、10年以上経った今でも覚えている。本来知恵の輪ははずすことができるように作られている。難易度の極めて高い知恵の輪は、はずすまでの手順が複雑すぎて初めの一手の手がかりさえつかめず、理解が及ぶまでは不可能とさえ思える。現実の問題も、同じような性質を持っているのではないか、と思うのだ。解くための手順が複雑すぎると、それを僕は不可能に近い問題として捉えてしまう。でも、本当はどんな問題にも解き方があり、それをまだ知らないだけなのだ。つまり、難しい問題は単に解決することが面倒なだけで、解決の道がないわけではない。難題を前にして逃げてしまうのは、思考を放棄していることに他ならない。

 言葉というのは不思議なもので、同じ事実でも言い方が変われば認識が変わる。今僕は大きな問題を抱えているけれど、それはただ面倒なだけだ。難しいことなら、諦めるしかないかもしれない。でも面倒なだけなら、意志次第でなんとかできそうに思える。頑張ろう。

はずる キャスト エニグマ【難易度レベル6】

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