花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

なぜ人と違う服を着たいと思うのか。

ある人によれば、外見は内面の一番外側、らしい。それが誰の言葉だったかは忘れてしまったから、誰が言ったかではなく何を言ったかが重要なのだと言い訳をして、思い出すのをやめた。

僕はたまに、他の人と違う服装をしたくなる。通勤電車ではスーツを着ているのが嫌になり、地元の駅前では没個性な私服姿が嫌になる。
似たような感覚は、きっと他の人たちも持っていることだろう。
今日は、そう感じる理由について、考えてみたい。

僕の場合、ふと頭に浮かんだのは、不安という感情だった。
人間はたぶん、自分が自分だということを証明したい生き物なのだ。多くのドラマや映画の題材になるくらいに、アイデンティティーは人にとって欠かせないもので、僕らはそれが揺るぐことに強い抵抗を覚える。

きっと、そうじゃない人もいるのだろう。でも、少なくとも僕は、自分が何者かがわからないのはいやだ。
普段の生活であれば、保険証でも免許証でも、自分が誰なのかを明確に教えて示してくれるモノがある。でも、証明書なんてただのカードにすぎなくて、もっと、誰が見ても僕が僕だとわかる何かがほしい。つまり、わかりやすい一言で言えば、個性がほしいんだ。

仕事であれば、仕事の出来で他人が評価してくれるかもしれない。でも、それは果たして僕にしかできない仕事か?
そんな問いの前に、僕はなすすべがない。

男なら内面で勝負、と言いたいところだけれど、内面を知ってもらえるほど深く接することのできる相手なんてごくわずかだ。

そうすると、外見で個性を出そうということになる。目的は、個性の発揮だ。
僕は服装によって自分が自分であるということを誰かに知ってほしいのだ。

没個性的な服装が時折いやになるのは、自分が誰だかわからなくなってしまうから。そして、それは自己の確立に対する自信のなさに起因するのだろう。

外見は内面の一番外側。だとすれば、それは人と違っていてもいい。人と同じでもいい。どんな服でも、自信を持って着飾ればいいんだ、きっと。