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花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

仕方ないことを仕方ないと言いたくない症候群

状況に上手く乗るのが大人だ。
仕方ない、他に方法がない。そうやって決めつけて、諦めて、自分自身を納得させる。大人として上手く生きていくっていうのは、そういうことなのかもしれない。
僕は不本意ながら、大人になりつつある。

不本意な状況に従うしかない、ということを僕はこの上なく不快に感じる。だけど世の中には、そんな状況が溢れている。

例えばブラック企業の多くは、社員の労働環境を悪化させたいとは思っていない。それどころか、できることなら改善させたいと思っているはずだ。でも、法的あるいは客観的に正しい働き方をしていては会社が潰れる。社員を路頭に迷わせることになる。だからこの場合、「そんな会社辞めちまえ」というアドバイスは正しいと思うけど「そんな会社潰れちまえ」というのは必ずしも正しくないと僕は思う。きっとほとんどの経営者は、社員皆が幸せになれることを望んでいる。

それなのに、現実は非情で、正しくない選択をせざるを得ないことがある。それは正しくないと呼べるのかどうかすらわからない。その状況においては、そうする他に道がなかったということで、その意味では、正しい選択とも言えよう。正しい選択なのに、人が苦しむ結果になる。こんなに悲しいことはない。

企業に限った話ではない。家庭でも、学校でも、あるいは個人の生き方という部分でも、こうした葛藤は生じる。

高校の頃、ちょうど3年の今くらいの時期、文化祭の出し物でクラスが揉めていた。名前も覚えていない女の子が泣いていたことだけは、今でも覚えている。
僕のクラスは中庭でパフォーマンスをすることが決まっていて、確かその内容についてだった。あの子は何かをやりたくて、でも練習時間が足りないとか、与えられた発表時間の尺に収まらないとかいう理由で反対されていたのだったと思う。結局、その子の希望は叶えられることはなかった。
今思えば、いくらでもやりようのあることだ。完璧なパフォーマンスじゃなくても良かったし、タイムスケジュールだって交渉の余地はあったはずだ。評価を気にして、やりたいことをできないなんて間違っていたと思う。今なら、そんな風に考えることもできるし、きっと今の僕なら、当時の状況を変えることもできただろう。それはものの見方や捉え方が変わったからで、変わったのは、自分が経験を通じて成長したからだと思いたい。

いつか、状況を変えられる人間になりたいと思った。今そこにない可能性を提示し、実現させるための行動を起こせる人間になりたかった。そのためには、広い視野を持ち、能力や経験を培っていかなくてはならないと思った。だから今の生き方を選んだ。厳しい環境に身を置けば、自分を磨くことができると思ったから。今はまだ、状況に従うしかないことも多い。なりたくなかった存在になっている、そう感じるときもある。それでもいつかは、今はどうしようもないと思ってしまうような状況さえも変えられるように、そんな大人に、なりたい。