花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

SNSを巡るかなしみ

僕にとってSNSは刺身と同じだ。

昔は嫌いだった。独特の食感や臭みがあって、それは僕の食べるものじゃないと思った。

ある時期から、その良さに気付いた。好きになった。人と食べる機会が増えて、意外と美味しいと感じた。

そして今、また好きじゃなくなりつつある。僕の好みに合わないことがわかってきた。

 

僕にとってSNSFacebookだ。mixiもやった時期はあったけど、当時ネットに疎かった僕はハマることなく、気がついたときには周りでやっている人も少なくなっていた。ツイッターも乗り遅れて、やる予定もない。その他はアカウントは持っていても見るだけで、ちゃんと使っているのはFacebookだけだ。

Facebookは、映画で知った。SNSが日本で広まりつつある頃だったと思う。当時はまだ周りでFacebookをやっている人なんて1人もいなかった。映画の内容も、なんかすごい、程度の感想で、イマイチしっくりこなかった。

それから数年が経ち、映画の内容が理解できてきたころにFacebookを始めた。始めたころは、身近な、本当に親しい人たちしか友達として登録していなかった。その人たちをよりよく知り、その人たちとの関係を深めるためのツールだと思った。僕にとってのSNSは、日の当たる花を万華鏡で覗いたような、キラキラした世界を持っていた。

更に数年後、ビジネスでの繋がりが増えた。一度会っただけの人と「友達」になった。知人と呼ぶにも満たないほどの、言うなればただの顔見知り程度の関係で、それは僕が思う友達の定義とはかけ離れていた。

顔も覚えていないような人の、仕事の成功や哲学や情報やなんやかんやといった近況がどんどん増えてきた。そんなもの僕はいらない。ただ、大好きな友人たちの近況が知りたいだけなのに。彼ら彼女らに、自分を伝えたいだけなのに。

Facebookは、ビジネスのツールになった。企業アカウントだけでなく、個人でも、パーソナルブランディングのツールとして広く使われ始めた。ある意味この成長は歓迎すべきことだ。一人一人が自分の顔で、個人の能力や人柄を武器にして仕事をできる世の中が近づいたのだから。

でも、そこに書かれる内容は外向きの顔ばかりで、まるでそれは、化粧をした役者を見ているかのようだ。

 

最近になって僕は、「フォローをやめる」ボタンを押しまくった。

通知やウォールの賑やかさは無くなったけど、暖かさは増したように感じる。