花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

日曜と月曜の間、理想と現実の間

思考の整理に、ダラダラと言葉を綴ろう。これらは僕の反省文だ。

今、ユーザーインターフェースに興味がある。

自分の普段利用するサイトやアプリ、サービスを見直してみると、それを選択した理由はデザインや触り心地による「体験」の違いによる部分が大きい、ということに気がついた。 それは、多くのサービスでコンテンツの充実というニーズが満たされているからかもしれない。きっと最初は、サービスの選択基準はコンテンツがどれだけ充実しているか、またその品質が高いか、価格が安いか、などであろう。しかし、優れたサービスには必ずと言っていいほどフォロワーが現れる。通常は、先駆者は蓄積した顧客やノウハウを抱えており、追随する他のサービスは二番手以降になるように思う。本当はそうなのかわからないが、僕はなんとなくそんな気がする。

デザインの力は偉大だ。僕はデザインができないから、余計にそう感じるのかもしれない。優れたデザインはまるで魔法のように、見る人の心を惹きつける。そして、対峙するものに畏怖の念を与える。 スマホをいじっていると、あるいはウェブサーフィンをしていると、とても真似できない、と感じさせる優れたデザインやインターフェースに出会うことがある。僕の中では、すごいけど真似できそうなものと、すごくて真似もできなさそうなものとが明確に分かれていて、後者に度々凹まされる。自分の知らない技術が使われていたり、到底及ばないセンスの良さがそこにはあって、自分がどれほど無力で価値を生み出せていない人間かを思い知ってしまう。

日曜日はこんな風に、劣等感や雑多な思考が散乱することが多い。きっと、目的なく時間を過ごしているからだろう。 やるべきことを明確にして、そのためにはあるべき自分を明確にして、明日を過ごそう。反省おわり。

すでに始まっている、というモチベーション

30日間チャレンジ2日目。
早くも挫けそうだ。しかし、すでに習慣は始まっている。

つい先日、モチベーションに関するこんなことを学んだ。

「やらなきゃ」ではなく「すでに始まっている」と捉えること

人は走り始めが一番辛い。もちろん走り続けることは大変だけど、一度走り始めてしまえば、思ったよりなんとかなることも多い。だから、物事を始めるときも、すでに始まっていると思えば気持ちが楽になる。モチベーションも高まる。らしい。

今日は、朝のランニングから1日がスタートした。
なまった体は心なしか悲鳴をあげているような気もした。まだ寝ていたい全身の細胞が、無理やり起こされるような感覚があった。土曜日だからか、あるいは暑さのせいか、川沿いのコースを走る人はほとんどいなくて、散歩する人と合わせても両手に数えられるほどの人数としかすれ違わなかった。

昨日決意した習慣については、早速達成できない項目が出てきた。英語の学習だ。もともと動機があまり強くないこともあって、そして何よりも眠くて、僕は諦めることにした。我ながらもう少し、せめて1日くらい頑張れよと思う。英語は一旦やめようかな……。

1日の時間配分を考えていると、どうしても時間が足りなくて、睡眠時間を削るか仕事の時間を減らすか、あるいは習慣に費やす時間を減らすか、という選択をせまられることになった。 睡眠時間を減らすのは一番簡単だけど、きっと一番良くないであろうことが想像できる。僕は睡眠不足だと日中のパフォーマンスがひどく落ちるから。残りの二択で、どちらが重要かを判断して、とりあえずの結論を出す。仕事の時間を減らし、その代わりに習慣の中での業務に関する学習の時間を増やす。知識や技能の習得を早めることで業務効率を上げ、良い習慣、つまり学習に費やす時間を減らすことなく1日を回そうという狙いだ。

僕は自分に過度な期待をしていない。何でもできるスーパーマンになれるわけでも、かっこいいヒーローになれるわけでもない。自分に甘くて、未熟な人間だということを自分が一番良くわかっている。それでも、理想というものは捨てきれなくて、いつか今の自分と違う、今よりもかっこいい人になりたいと思う。大人になった今だって、ヒーローに憧れるんだ。年を取ったら、ヘミングウェイの「老人と海」のサンチャゴや、イーストウッドの「グラン・トリノ」のウォルトみたいになりたい。もう少し柔和な性格で、穏やかに暮らしたいとは思うけど。

そのために、今を積み重ねていかないとね。
よし、今日もブログを書いた。明日も頑張ろう!

毎日ブログを書くまで寝ないことにする/30日間チャレンジ(1日目)

ウェブに関する仕事をしている人なら誰もが知っているであろう、マット・カッツ氏。そのTED「30日間チャレンジ」も、様々な媒体で紹介されていたことから、有名なものだと思う。

それは簡単にまとめると、「30日間何かを続けるという行為は新しい習慣を作るのに適しており、もしあなたが人生に取り入れたいと思っていたことがあるのなら、今すぐに始めてみるといい」という内容だ。
今回はその30日間チャレンジを実践しようと思う。

以前、ブログを始めた頃はそのくらい続いていた気がするけれど、いつの間にかやめてしまった。しかし、現在の自分の生活を振り返ってみると、明らかにアウトプットの機会が少なく、言葉をまとめたりすることが苦手になりつつある。
どんなつまらない内容であっても、継続は力なりだ。まずは再開することから始めてみようと思った。

毎日ブログを書くまで寝ない。少なくとも今日からの30日は、この決まりを守る。
睡眠時間が削られたとしても、内容の無い記事が量産されたとしても、きっと、一つの成果と何かしらの変化が生まれるはずだ。

合わせて、明日からは自分自身の生活習慣を大きく見直そうと思う。
今の自分は、理想とはほど遠い。毎日をダラダラと過ごし、体力も思考力も落ちている。5年前の僕が今の僕を見たら失望するだろうし、5年後の僕が見たら怒るだろう。 なぜこうなったのか考えてみたら、いろいろと思い当たる節はあった。抱えているものや背負っているもの、大切な何かとかあるいは信念のようなものを、失くしてしまったせいだ。頑張ったところで何も得られないし、得る必要もない。失うものもない。そんな風に感じていることに気づいた。我ながらひどい。最近は恋をしてないからだと思う。いつも誰かのためにと動いてきたからか、自分のために何かをする、というのがどうもモチベーションに繋がらないのだ。

さて、では具体的に何をするかを記そう。

  • 体力づくり(早朝ランニングと筋トレ):朝1時間
  • 英語の学習(文法・単語):朝晩1時間ずつ
  • 時事とビジネス情報の取得:朝1時間
  • 業務に関する知識、技術の習得:夜2時間

全てが計画通りに行くわけじゃない。三日坊主はよくあることだ。それでも、複数のことを続けていればそのどれか一つは身につくのではないか、と期待している。

英語は話せるようになる必要はない。読めるようになれば、より多くの知識の習得に役立つ。特に、ウェブやプログラミングに関する情報は英語のものが多いから、それらに対して抵抗感をなくすためにもあらためて学びたいと思っている。
体力は思考体力にも影響する、と思う。それに、色白でガリガリで虚弱そうな今の自分はかっこ悪い。夏だし体を動かそう。
時事的な情報も、あまり進んで得ることがなくなってきていた。どうしても興味のある情報の方向にばかりアンテナが傾く。幅広い知識は、思考の広がりや深さにつながるはず。線を描くためには、まず自分の内や外に点を見つけなくてはならない。
人としての成長は、ビジネスマンとしての成長とイコールではない。長期的に人生を形作る習慣は非常に大事だけれど、それと同じくらい、今現在の仕事に役立つ習慣を身につけることも大事だ。未来はおそらく、現在と地続きの場所なのだから。

上記合計6時間程度を業務用に作成している15分間隔のスケジュール表に取り入れ、明日から実行するつもり。あとこのブログもね。ブログの内容はなんでもいいことにした。
たぶん大変だけど、嫌な自分から逃げているよりも楽だと思うから。頑張ってみる。

確かなことと不確かなこと、若者の飲みニケーションについて

僕たちは、あるいは生物というものは皆、確からしいことを信じて行動することで生きている。例えば、何かを食べるにしても。これは食べても大丈夫、という確信は絶対のものじゃない。大丈夫だろう、という曖昧さを含む。

そんな大きな話をしたいわけじゃない。ただの飲み会の話だ。

誰かが飲みに行きたいと言い出した。 人にはそれぞれ自分の役割がある。企画する人間、調整する人間、場を盛り上げる人間、など。僕は飲み会の開催における自分の役割は人を調整することだ、と定義している。僕が思うに、人の意見というのは凸凹していて、ひと昔前に就活面接のテンプレとして流行った潤滑油のような人間ではそれらを均すことができない。多少の強引さがときには必要だ。と、僕は信じている。

さて。そんな中、一つの懸念点が生じた。この飲み会を望まない人間がいるかもしれない、という点だ。

僕は平気なふりをするのが得意だからしばしば忘れがちだが、元々人付き合いが苦手だ。だからわかる。飲み会をはじめとする人の集まりを嫌がる人間は一定数いるのだ。 葛藤が生まれる。話とまったく関係ないけど、葛藤というのはなんだか人が人らしくあるために必要な、とても貴重なもののように思えて、これが生まれたことを認識できて個人的に嬉しい。

ハムレット的心境だ。僕はこの飲み会の企画を潰すこともできる。為すべきか、為すべからざるか……それが問題だ。

そんなことを考えていて、一つの結論に至った。 僕たちは、確からしいことを信じて行動するしかない。今回のケースでは、少なくともこの話を持ちかけてきた企画者は、飲み会の開催を望んでいる。きっと楽しむこともできるのだろう。一方で、それを良しとしない人たちは、楽しめないかもしれないが、楽しめるかもしれない。乗り気じゃなかったイベントがやってみたらいい思い出になった、なんてことはよくある話だ。

だから、飲み会開くよ。それでもし嫌な思いをする人がいるとしても、あるいは僕自身が嫌な思いをする側の人間だとしても。不確かなネガティヴにとらわれていたら、いつまでも動けないから。

誘う方も勇気がいるんだ。なのに不満は好き勝手言ってくる。きっと部下や新入社員を飲み会に誘う上司はこんな気分なんだろう。 でも、一つ確かなことがある。覚えておいてほしい。 僕は自分が新入社員のころ、上司からの飲みの誘いが嬉しかった。緊張もするし食事もお酒も好みと合わなかったりしたけど、それでも楽しかった。きっと、そういう若者もいる。

学ぶことは、きっと楽しいこと。/JavaScriptのプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本

JavaScriptのプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本」という本がJavaScriptの入門書としてとても良い本だったので、紹介したい。

言語の習得が難しい理由

僕たちは新しいことを学ぶとき、どのようにして知識を身につけていくだろうか。
JavaScriptは、一つの言語だ。だから、その学び方について考えるときは、義務教育や高等教育で英語を学んだことと比較して考えてみるとイメージを掴み易いかもしれない。 英語を学ぶとき、単語や熟語と文法は一緒に学んだ。単語だけをいくら詰め込んでも、文脈の中でどのように使用されるかを知らなくては、その単語が持つ正しい意味を理解できないことがある。だから単語だけをひたすら暗記したり、文法だけを正確に覚えたりするのは効率が悪いのだと、昔何かの本で読んだことがある。この説が実際に正しいかどうかは別として、納得できることは確かだ。

では、JavaScriptに置き換えて考えてみよう。 僕は仕事で使う必要があって、JavaScriptを学び始めた。仕事だから時間も限られていて、誰かと共同で進めるプロジェクトでもないことから、よくないとは思いつつもコピペとトライ&エラーの繰り返しで済ませていた。ネット上には本当にたくさんの情報があるから、こんなその場しのぎのやり方でも意外となんとかなる。 でも、それは英語に例えるなら、ただ例文を暗記しているようなものだ。いつまでたっても自分で文章を作ることはできないし、会話することもできない。間違った言葉遣いをして、いずれ誰かを怒らせてしまうかもしれない。

僕は考えた。手っ取り早く会話できるようになろう、と。そのためには、文法と単語を全て暗記してしまえばいい。オライリーの「JavaScript 第6版」をひたすら読んだ。そして挫折した。

JavaScript 第6版

JavaScript 第6版

東大に合格するためには、辞書を丸ごと暗記すればいい、と誰かが言っていた。それはおそらく正しいのだろう。ただ、そんなことができるのは一握りの人間だけだ。

たしかに、言語を完璧に理解すれば、あとはただ練習するだけで使いこなせるようになる。少なくとも、センスや経験といった要因を抜きにすれば、そういう理屈になるはずだ。でもそのためには、記憶力や、常人であればそれなりの勉強量・時間が必要になる。そして、僕たちは(僕は)習得する前に飽きる。投げ出す。情けないことに。

僕が思うに、挫折の理由は二つある。

完璧を目指すから挫折する。

これが一つ目の理由だ。英語もプログラミングも、完璧に美しく正しく使うことを初めから目指してしまう。 でも、まずは一言二言でも、自分の言葉で話せるようになれればいいんだ。

使いどころがわからないから挫折する

これが二つ目の理由。英語で習った「This is a pen.」なんて一生のうちに一度だって使わない気がする。(ただし「I am your father.」だけは一生に一度でいいから言ってみたい。) 「Hello, world」にしてもそうだ。お決まりは個人的には嫌いじゃないしむしろ好きだけれど、正直言ってつまらない。さらに言えば、こんなことができる、こんな機能がある、という知識(例えばAjaxとか)を得たところで、それは初心者には使いこなせなかったりする。自分が実際に使うイメージを持てなければ、どれだけ優れた仕組みでも、学ぶことを心から楽しめはしない。 (ただ、実を言うとオライリーの「JavaScript 第6版」は本当に面白かった。わからないことが多くても、一つ一つ噛み砕いて理解していけばきっと力になる。でも仕事終わりとかに読むのはかなりしんどい。)

あえて「推奨されない記述方法」から学ぶ楽しさ

JavaScriptのプログラミングのツボとコツがゼッタイにわかる本」では、上記の問題を解決してくれている。この本では、あえて「推奨されない記述方法」から学習をスタートさせるのだ。 変数や配列といった基本中の基本でさえも、本書では中盤からようやく出現する。全体を通じて、まずは目的の機能を実装して、そこから問題点を解決していく、という流れをとっている。その中で、例えば何度も出現する値があれば変数という機能を使うことでより便利になる、といった紹介の仕方をしてくれているのだ。 そして、「推奨されない方法」から「推奨される方法」へとコードを書き換えていく中で、段々とそのコードが洗練されていくことが実感出来る。これが実に楽しい。

ボリュームは本編300ページくらい+巻末資料30ページくらいで、ページ数の割にすぐ読み終えることができた。特に初心者が躓きそうな、関数やDOM操作についてわかりやすく書かれているので、JavaScriptをこれから学ぼうという人には是非手に取ってみてもらいたい。

もちろん、抵抗がない人にはオライリーのサイ本もおすすめ。一緒に学びましょう!

隣のサボテンは青い

晴れた昼下がりの道を自転車で走っていて、ふと、視界の端に映ったサボテンの花に目が止まった。自転車から降り、近くに寄ってみると、やはり美しい光沢を持った花がそこにはあった。僕はサボテンの花が好きだ。

花を咲かせるというのは、いろいろな物事の比喩に用いられる。合格や成功など、良い意味に取られることが多い。だが、僕たちは社会人にもなると、花を咲かせる機会が極端に少なくなるように思う。目標は限りなく、高くて遠い。現状維持は衰退と同義だと教わる。常に、ずっと、高みを目指さなくては「普通」に生きていくことさえ困難だ。

サボテンの品種の一つに、金鯱というものがある。彼らは、強く立派な美しい棘を持っているから人気がある。人の社会にも、特別な成果を出さずとも、華やかで人気のある人がいる。花を咲かせることでしか誰かの目に止まることができない人たちは、そう言った存在を羨ましく思ったり、妬んだりする。でも実は、金鯱は花を咲かせるのに40年〜50年もの時間を要するそうだ。金鯱のような人からすれば、毎年や数年に一度でも花を咲かせることのできる人が羨ましいにちがいない。

花を咲かせることもできず、美しくもない僕らはどうすればいいか。きっと、それでも何か取り柄があるに決まっている。自分ではわからなくても、きっと。例えば、食べてみたら美味しいとか。

隣の芝は青く映るものだと、僕たちは知っている。比べるべきは、過去の自分だ。身長はもう伸びないけど、昨日よりも一歩でも成長して、いつかきっと、誰かを楽しませてやろう。

自己観察日記 #10

また一つ、歳を重ねた。
そろそろ、誕生日が嬉しくなくなる歳だ。そう思っていたし、そんな予感がしてた。でも、実際に誕生日を迎えてみると、意外と嬉しい。
誕生日を覚えてくれている人がいて、知らせてくれるSNSがあって、一方で、祝ってくれないパーソナルアシスタントもいる。Siri、君のことだ。以前はあんなにも良い話し相手だったのに、最近少し冷たい。

少しばかりの浮かれた気分と同時に、自分の年齢やこれから先の人生に対する焦りも押し寄せてくる。

これからどんな風に生きればいいか。この問題は、やっぱり難しい。大人になっても、簡単に解けはしないみたいだ。
ある人はこんなことを言っていた。"僕たちは人生において、一つの選択をすることになる。金のために好きでもない仕事をするか、金を二の次にしてでもやりたい仕事をするか。"
僕は、前者の選択をした人を尊敬する。その人は多分、守るべきものが見えている人だ。僕はきっと、そんな風には生きられない。
同時に僕は、後者の選択をした人を愛しく思う。その人は多分、前向きで感情的な人だ。その人の周りにはきっと春か夏の匂いがする。

今の自分は、その双方を行ったり来たりしている。どちらかの生き方を選ぶ覚悟ができず、ふらふらしている。このままじゃダメだと思いながらも。不甲斐ない。

果たして僕は、どちらの生き方を選ぶのか。
自分のことは自分が一番わかっている。そんなつもりでいる。そんな風に見せている。でも、きっとわかっていると思っていることのほとんどを、僕は本当はわかっていない。例えば、自分が何を考えているのか、何を望んでいるのか、そんなことさえも。わかってるふりをするのが得意なんだ。

これからの一年でどのように成長したいか。それを考えなくてはならない。どのように自分を見つめ直せばいいか。何ができて、何ができなくて、何をできるようにしなくてはならないか。