花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

週末定点観測 #15

週は明けてしまったけれど、習慣づけたいからなんとか書いておく。

観た映画

ツーリストを見た! 好きな映画。テレビで放送していた。

初めて行ったところ

高知県と、愛媛県と、銀座のバー。どこも楽しかった。 人と会う用事があって、そういう時はだいたい行く前は憂鬱なのだけれど、行ってしまえば楽しい。仕事と同じだ。憂鬱なのは、何を話せばいいか、どのように振る舞えばいいか不安だからだ。つまりは自信がないからで、これはまだ当分は治らない気がする。

音楽について

街角や駅前で歌っている人がすき。有名なアーティストじゃなくても、歌や演奏が飛び抜けてうまくなくても、そこには特別な空気が流れているから、すごく、素敵に聞こえる。実際に素敵なんだろうと思う。 最近になって、ニコニコ動画の生放送というものを初めて視聴した。我ながら時代の流れに乗るのが遅いと思う。きっとそれらの放送のほとんどは、大変失礼ながら退屈なものだと思う。このブログのように。 でも、そこでたまたま出会った放送の中で歌われていた、「君の放送」という曲がすごく良かった。オリジナルの曲らしい。人生で初めてコメントというものを残した。

運動と趣味について

ランニングは続かなくなってきた。ダーツを久々にやったら、ハットトリックが決まって楽しかった。こんなささやかな楽しみはあるんだ。それに友達がいるというのはそれだけでいいことだと思う。

仕事について

自分の仕事の流れをあらかじめ枠決めして、自分自身を歯車の一つとして、半自動的に仕事を進めるような環境を整えている。つまりは作業に伴って生じるあらゆる抵抗を減らすべく努めている。でも、その結果なんだか仕事をしている感が薄れてきていて、流されている感覚が生じ始めた。どうしたものかな。これも、楽しむ仕組みを作らなくてはならないと切実に思う。

読んだ本

司馬遼太郎竜馬がゆくを読み始めた。前々から読むべきと聞いていたけれど、興味が湧くこともなく後回しにしていた。今もそんなに積極的に読もうというわけではないけれど、何も読まないよりは良いと思い、読み始めてみた。本当はもっと本を読むべきなのだけれど、なかなか気乗りしない。

今週は本を読むようにしよう。文字を書くようにしよう。日々を楽しむために。

自己観察日記 #9

最近楽しいことはありましたか?
この数年で一番楽しかったことは何ですか?

先週の僕は、この質問に答えることができなかった。

僕は数年前から、Day OneというiPhoneアプリで不定期に日記をつけていて、そのアプリでは書いた文章を検索することもできる。そこで、僕がどのようなことを楽しみ、「楽しい」あるいは「楽しかった」と記したかを調べてみようと思い「楽し」で検索してみた。驚くことに、一つもヒットしなかった。そこには楽しいことなんてなかった。

確か、このブログには楽しみなこととかも書いていた気がする。だから、全く楽しいことがないわけじゃない。今日だって昨日だって、ささやかな楽しみはあったはずだ。けれども、それは果たして本当に楽しいと感じていたのだろうか、と疑問に感じてしまった。

自分に向き合うのは苦手だ。頭が痛くなる。自分のことほどわからないことはないから。日々の行為は楽しいことじゃなくても問題ない。楽しいことなんてなくても生きていける。そう思っているけれど、そう思ってしまっていることが悲しい。できることなら、もっと何もかも楽しみたいのだ。仕事も、人生も。

義務感で生きている。そう感じることがよくある。生きるのは借りを返すためで、自分のためじゃない。遊んでいる時は、必死に楽しんでいるふりをする。周りの人に気を遣わせないように。自分自身を騙すために。仕事にも誇りややりがいを感じているふりをする。ネガティブな部分はみんな隠して、家族にも同僚にもいいところだけ見せようとする。

僕がたしか小学生の頃に読んだぼのぼのという漫画に、スナドリネコさんというキャラクターが登場する。話はほとんど忘れてしまったけれど、「平気なふりをするのが得意なだけさ」という彼の台詞はとてもかっこよくて、そこだけが記憶に残っている。
僕はいつも平気なふりをしている。いつからかそうすることが染み付いてしまって、弱みを見せるのが苦手になってしまった。僕は望んで、平気なふりをしている。傷を見せることができたら、どれだけ楽だろうか、と思うこともある。数人のごく限られた友人たちの前では、平気なふりをしないでいることができて、そこだけは唯一僕の居場所だと感じた。でもそれも、それぞれの生活の変化に伴って変わってしまうのだろう。そしておそらく、また僕は平気なふりをするのだ。

どうにも悲しい毎日だ。どうしようもなく思えても、なんとかするしかない。今に不満があるのなら、変わらなくてはならない。あるいは、変えなくては。

大丈夫。明日はきっと今日よりもいい日だ。

前置きが長くなったけど、そんなこんなで僕はこれから日々を楽しもうと決意した。できるかぎり。

太陽系外惑星が見つかったんだって。

NASAが言ってた。

太陽系と比べて考えてみる。

宇宙のあれこれというのは、いつだってスケールがわかりにくい。普段接することのない単位ばかりだし、1光年がどの程度の距離なのか、kmになおしたところで正直わからない。桁が違いすぎるんだ。だから太陽系と比べて整理してみる。

今回の発見を、僕らの住む太陽系に置き換えながら考えてみよう。ネットの記事によると、どうやら、見つかった太陽系外惑星群は「TRAPPIST-1」という星が僕らの住む太陽系における太陽の役割をしているようだ。
そして、その周りに惑星が7つ存在することが発見された。

TRAPPIST-1は太陽の100分の1ほどの大きさしかないし、太陽よりもずっと温度も低いらしい。

地球に相当する星で、今回の発見の話題性の肝になる"水があるかもしれない星"は3つあって、「TRAPPIST-1e」、「TRAPPIST-1f」、「TRAPPIST-1g」っていうんだって。それらTRAPPIST-1の惑星たちは、地球と太陽の20分の1くらいの距離を回っている。TRAPPIST-1は太陽よりも温度が低いから、距離が近いことで丁度いい温度が保たれているそうだ。

ちなみに、近い分だけ公転の周期もすごく短くて、ゆっくり回る惑星でも地球時間で二週間もしないうちに1回転してしまうらしい。その星に住んだら、一年が二週間で過ぎるわけだ。移住できたら2000歳を迎えることも夢じゃないね。

また、それらの惑星は、地球に対しての月のように、TRAPPIST-1に対して同じ面を向けて回っている可能性もあるんだって。その場合は、ずっと昼の場所と、ずっと夜の場所とがある。夜と昼の境目あたりだけ、生き物が住める環境になるのかもしれない。まるでおとぎ話の世界みたいだ。

39光年の彼方に思いを馳せる

宇宙のあれこれというのは、いつだってスケールがわかりにくい。普段接することのない単位ばかりだし、1光年がどの程度の距離なのか、kmになおしたところで正直わからない。一応計算してみた。

39光年って、370兆キロメートルくらいで、それって時速300kmで走っても1億4千万年もかかる距離なんだ。遠すぎるよ。。計算間違ってたらごめん。。

そこに移住できる星があったとしても、そこに生命があったとしても、そこから宇宙人が飛んできても、きっと僕には関係のない話だ。生きている間に、何かをどうにかできるわけはない。でも、それが宇宙のいいところだと思う。
例えば、月の裏側を見る必要なんてなかったと僕は思う。月にはウサギが住んでた方が楽しいし、その可能性が少しでも残されていた方が夢がある。まあ、クレーターだらけの月も、あれはあれで愛しいけどね。
手が届かない場所にあっても、どれだけ遠くても、思いだけはそこに行くことができる。ロマンって大切。

週末定点観測 #14

少しサボってましたが。タイトルの命名規則を改めて、再開。実は16週目くらい?

運動について

iPhoneのアプリで計測を始めた。runtasticというやつ。走るときは、だいたい1km/5分ちょいのペースで5km走る。 足が少し痛むので、最近は回数が少なめ。 体を動かすのは好きなのだけど、痩せすぎてあばらが浮いてきて困る。

食事について

不摂生が続いていた。食べることにあまり関心がなくて、一人で食べることが多かったから余計によくない。 人と一緒に食べるときはちゃんと食べてるんだけどな。

コーヒーが美味しい一週間だった。
コーヒーはだいたいいつでも美味しい。これは多分、人が生きる理由の一つだ。

楽しかったこと

学生時代の後輩が出演する舞台を見に行った。笑ったし、少し涙ぐんだ。やっぱり演劇っていいね。歳をとると涙もろくなるというのは、どうやら本当らしいと、ここ数年実感している。

仕事関係

自分のタスクの完了数と完了タイミングによってスコアを獲得し、一定のスコアでレベルが上がるタスク管理表を作った。たのしー

あと、チャットワークのアプリをようやくスマホにインストールした。ウェブ版と比べてすごく使いやすい。UI・UXの違いでこれほど使用時の気持ちが変わるとは驚き。

楽しみなこと

週末に飲みに行くこと。数少ない友人と会う日は、いつも楽しみだ。

不安なこと

人と会うにあたって、何を話せばいいかがわからない。話題を考えないと。と、こんなことを考えている時点ですでに負けている気がする。何にってわけじゃないけれど、何かに。

新しい発見

数日前からVocaloidの歌を聴くようになった。今更感が半端ないけど、電子的な声が歌うってなんかSF的なロマンがあるよね。それに、他のアーティスト以上に、多くの人々の想いや願いの上に楽曲が成り立っている感じがして、そう言った背景とかに思いを馳せると感動する。確かにこれは一つの文化だ。今まで目を向けなかった自分を反省。

明日は朝から飛行機に乗る。どんな景色が見えるだろう。どんな音が聞こえるだろう。きっと明日は、今日よりもいい日だ。だから明日からの七日間も、精一杯頑張ろう。

自己観察日記 #8

世の中の多くのことには原因や理由があると僕たちは知っている。「多くのこと」とは、「ほとんどのこと」かもしれないし、「すべてのこと」かもしれない。だから、今日の自分が怠惰で行動が遅いことにも、久々に行う複雑な仕事を前にして思考が停止しそうになったことにも、ほぼ100%原因や理由があるはずだ、と僕は考えた。

原因を紐解いていけば、きっと解決の糸口が見つかる。問題は、答えにたどり着くだけの体力や気力があるかどうかだ。

ここまで考えて、残念ながら今日はダメみたいだ、と諦める。頭が働かない。僕の脳はまるでニートだ。何もしていないのに疲れたとは情けない。僕は人に羨まれるほどポジティブな人間なのだけれど、今日はネガティブみたいだ。きっとバレンタインデーのせい。

最近は、今まで積み上げたものを費やして生きている感覚がある。動物や植物の命を奪って食べて生きるのと同じように、人の好意や自分の努力や、それらによって得ることのできた何かを燃やして生きているような気がするのだ。僕は人や社会からもらった善意を返すことが人生の意味ではないかと、そうしたいと考えていた頃があった。それは願いだった。今ではその思いが、強迫観念のようにやってくる。どうしたものか。

人の感情にはたぶん波がある。だから荒れているときは、穏やかになるのを待つことにしよう。他人に対しても、自分に対しても。
おやすみ。明日はきっと、今日よりもいい日だ。

自己観察日記 #7

今日は自己反省日記。

努力や苦労といった言葉は、積み重ねられるもののように扱われる。それはまるで財布の中の万札みたいに、きっと少しずつ減っていくんだ。働いてお金を稼いで貯金するのと同じように、努力や苦労も、貯めておかなくては減っていく一方だ。最近の僕は、過去の僕が貯めたそれらを費やして生きている。 本を読むことが少なくなって、ブログも書かなくなって、外に出ることも走ることも少なくなった。要するに怠惰になったのだ。このままではニートもどきになってしまう。あいにく僕にはかじることのできるすねはない。自分がこれ以上ガリガリになる前に、状況を変えなくてはならない。

仕事がつまらない。一日が始まるのが億劫に感じる。楽しみなこともない。こんな憂鬱な気分も、バレンタインが終わって少しはマシになるだろう。いつだって明日は今日よりもいい日だ。仕事がつまらないのは、本気じゃないからだってわかってる。わかってるんだけどなぁ。わかっていてもできないことが多すぎるんだ。僕は素直じゃないみたい。

明日から頑張ろう。おやすみ。

自己観察日記 #6

脳が動くのを嫌がっている。そうとしか思えないときがある。今だ。

何かを書いては消し、消しては書いて、そんなことを繰り返して時間だけが過ぎる。

サン=テグジュペリの夜間飛行は、初稿からは随分多くのシーンや記述が削られた、と聞いた。完成されたデザインと同じように、それは不要なものをことごとく削り落とすことによって、洗練させることに成功させたのだと。
消された文章であっても、きっと彼の中には息づいていて、それが物語に本物の世界らしい空気感を与えているのだろう。

僕の思考や文字の羅列には、そんな高尚な意味なんてない。消された部分には特別な役割も、意味も、ない。
それでも、こんな風に考えたことや感じたことの積み重ねが、人格を作るのだとしたら、どうか。きっとそれは素人の実験のようなものだ。不確かで、仮説もなく、手当たり次第にできることをやってみているだけ。
それでも、決して無意味ではないのだと、今日の僕は思う。そうであってほしいと願う。