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花びらを数える日々

チラシの裏、ときどき星の屑

自己観察日記 #7

自己観察日記

今日は自己反省日記。

努力や苦労といった言葉は、積み重ねられるもののように扱われる。それはまるで財布の中の万札みたいに、きっと少しずつ減っていくんだ。働いてお金を稼いで貯金するのと同じように、努力や苦労も、貯めておかなくては減っていく一方だ。最近の僕は、過去の僕が貯めたそれらを費やして生きている。 本を読むことが少なくなって、ブログも書かなくなって、外に出ることも走ることも少なくなった。要するに怠惰になったのだ。このままではニートもどきになってしまう。あいにく僕にはかじることのできるすねはない。自分がこれ以上ガリガリになる前に、状況を変えなくてはならない。

仕事がつまらない。一日が始まるのが億劫に感じる。楽しみなこともない。こんな憂鬱な気分も、バレンタインが終わって少しはマシになるだろう。いつだって明日は今日よりもいい日だ。仕事がつまらないのは、本気じゃないからだってわかってる。わかってるんだけどなぁ。わかっていてもできないことが多すぎるんだ。僕は素直じゃないみたい。

明日から頑張ろう。おやすみ。

自己観察日記 #6

自己観察日記

脳が動くのを嫌がっている。そうとしか思えないときがある。今だ。

何かを書いては消し、消しては書いて、そんなことを繰り返して時間だけが過ぎる。

サン=テグジュペリの夜間飛行は、初稿からは随分多くのシーンや記述が削られた、と聞いた。完成されたデザインと同じように、それは不要なものをことごとく削り落とすことによって、洗練させることに成功させたのだと。
消された文章であっても、きっと彼の中には息づいていて、それが物語に本物の世界らしい空気感を与えているのだろう。

僕の思考や文字の羅列には、そんな高尚な意味なんてない。消された部分には特別な役割も、意味も、ない。
それでも、こんな風に考えたことや感じたことの積み重ねが、人格を作るのだとしたら、どうか。きっとそれは素人の実験のようなものだ。不確かで、仮説もなく、手当たり次第にできることをやってみているだけ。
それでも、決して無意味ではないのだと、今日の僕は思う。そうであってほしいと願う。

できることを、できるだけやるということ

雑記

ヘミングウェイは偉大だ。
僕はヘミングウェイの写実的な表現が好きだ。
ヘミングウェイは、こんな言葉を残した。

動きと行動を混同してはならない。

英語では、moveとaction。 僕はこのセリフ、あるいは記述を実際に彼の本で読んだことがないので、どのような文脈の中の言葉なのかを知らない。でも、この言葉がもし、ただの動きには意味がないという意味であるならば、一つの反論がある。

人には、とにかく動くべきときがある。と僕は思う。それがただの動きであっても、何か目的を伴う行動であっても。どちらであるか、自分ではわからなくても。

そうでないと、きっと停滞してしまうから。わからないなら考えればいい。でも、考えられないときや、考えても答えが見つからないときは、とにかく動いてみるのもいいと思うんだ。

だから今日は、一行でも一文でもいいから、寝る前にブログを書こうと思った。誰の役に立たなくても、自分の役にも立たなくても、言い訳をしながらでも、何もしないよりはきっとマシだと信じているから。精一杯の抵抗だ。

おやすみ。明日はもっといい日にしよう。

自己観察日記 #5

自己観察日記

本を読むことが嫌いになってしまった。かもしれない。

いつも読む本は、物語だったり、実用書だったり、あるいは日々の生活とは関係のない学問の本だったりするのだけれど、今はどれも読みたくない。

今日は昼前に図書館へ行き、なぜだか目に止まった本を開いて、最初と最後だけ読んだ。一つの物語が始まって、終わった。ハッピーではない、不幸中の幸いのような終わり方で、それでもハッピーエンドだからいいかと、満足して本を閉じる。

もし悲しい物語なら、知らないままでいたい。本を開くことがなければ、悲劇が始まることもないから。もし素敵な物語なら、終わらないでほしい。その世界に浸っていたい。でも、物語には必ず終わりがある。10年くらい前に読んだ本の作者が、物語を終わらせることができなければ、それはプロの作家とは言えない、と書いていた。だから、終わりがあるのは仕方のないことだと思うようにしている。

別れが悲しいから、出会わないでいたい。まるで恋をしたときみたいだ。

実用書は楽しくない。学びは楽しいけれど、頭を休めたいときだってあるんだ。

日々の生活と関係のない、純粋な興味をもとに本を読むことも多い。だけど、知らないままでいた方がいいこともあると、気づいてしまった。例えば宇宙のこと。ロマンで溢れた彼方の世界は、ファンタジーに近いものだった。知れば知るほど、学べば学ぶほど、魔法は科学へと変わってしまう。それはそれで別のロマンはあるのだけれど、少し寂しくなる。月は、手が届かないから一層美しく思えるのだ。

プラモデルのジレンマ、と名付けよう。それについて思いを馳せている時間が一番楽しいのだ。実際に作り始めると、それは根気のいる作業で、飽きたりつまらなかったりする。そのものは好きだけど、そのものが持つ役割を果たすのは実は好きじゃない。完成は待ち遠しいけれど、終わってしまうのは惜しい。

今日の僕は、そんなことを考えていた。

自己観察日記 #4

自己観察日記

どうやらこのブログを開設して、もう一年が経つみたいだ。 最近のウェブサービスはこういう記念日をよく覚えていて、マメな恋人並みに知らせてくれる。少し嬉しい。

一年を振り返ると、成長していないところは数え切れないほどある。人格の形成という面では、年齢的に今後そこまで大きな成長は見込めないのかもしれない。それは寂しいから、もっと本を読もう、と思った。

成長したところを数えたい。少しは成長したかもしれない、と思えるところを探すと、僕は前よりも自分に向き合うようになったようなきがする。できるはずないと決めつけることも少なくなった。それは、逃げているだけだということを知ったからだ。ほんの少しの変化だけれど、僕にとっては大事なことだ。今でも逃げてばかりの人生ではあるものの、無意識に逃げるのではなく、選択の結果として逃げることが多くなった。これはいいことなのかそれとも悪いことなのか、少し微妙なところだ。臆病にもなっただけかもしれないから。
あと、この一年間は、古い友人たちにも会う機会を持つようにしていた。今まではそんな勇気も度胸もなかったから、なんだかんだ、僕は成長したのかもしれない。あるいは図太くなったか。

これからの一年は、今までとは違う一年にしたいな。

自己観察日記 #3

自己観察日記

このところの僕は、ひどく腑抜けている。 元カノから恋愛相談を受けているせい、ということにしておこう。きっとこういうときは誰だってこんな気分になる。

良い習慣は身につけることが難しく、一方、悪い習慣は容易に身につく。そんなことを実感している。つまり、僕の生活から良い習慣が減り、悪い習慣が増えたということだ。

ブログの字下げについて考えた。正直どうでもいいことだ。どうでもいいことに意識が向くときというのは、重要な事柄が身近にないか、あるいは重要な事柄から逃げているときだ。今の僕は後者だ。

ブログの字下げは、単純に空白を入れる他にも、CSSで設定できる。はてなでもCSSはいじれるみたいなので、将来的にはそちらで設定するかもしれない。字下げをするかしないか、という問題もある。後から変更しやすいように、今は空白を入れるのはやめようと思う。

腑抜けた自分は嫌いだけれど、そう簡単に変わることができないから自分が嫌いなのだ。本を読むと決めたが、それすらも続かない。先のわかったミステリーを読むモチベーションとは何か、という問いに近い心境だ。だから仕方ない、と自分に言い聞かせる、そんな自分も嫌いだ。

モチベーションマネジメントについて学び始めた。自身のモチベーションを管理するためだ。学ぶことは挑戦であり、同時に逃げでもあると思った。今の自分で立ち向かうために思考することからの逃げだ。RPGで勝てない敵に対して、レベルを上げてから立ち向かうようなものだ。僕はよく逃げる。それはいつかハウルみたいな台詞を口にするためだ。そんな日が来るかはわからないけれど、来るかどうかわからない日に備えて特訓を重ねるのがヒーローだと僕は知っている。その日が来ればヒーローだし、来なければ変人だ。分の悪い賭けだけど、幸い僕は賭け事に強い。いつか守らなければならないものができると信じて、それまでは逃げよう。逃げながら力を蓄えればいい。

とにかく、くだらない内容であってもブログを書こうと思った。価値の有無なんて、僕にはわからないのだから。世の中の人々の価値観は、僕の予想を超えて多様であると、予想している。

もしかして:すきやき

雑記

今週のお題「恋バナ」

僕はすきやきという言葉がどのような料理を指すのか、わからなくなることがある。

昔話をしよう。
まだ僕らが若者で、ガラケーを持っていた頃の話だ。

メールでは機種に依存する絵文字と顔文字で感情を表していたし、切れ目のないLINEでのやり取りと違って、一通の中にも物語があった。

メールの最後には、「—END—」という表示があった。ガラケーのメール画面を思い出してみてほしい。
当時の携帯は画面も小さくて、スクロールしないで表示できる範囲はごく限られていた。

ある日、仲のいい女の子から、こんなメールが届いた。


 すき
 ——— END ———
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 やき。
 ——— END ———

流行っていたのか、冗談なのか、あるいは本気だったのかは知らない。

その女の子は数年後に年上の男性と結婚して、今は幸せそうにしている。

これが恋バナなのかどうかは、大人になった今でも正直わからない。
僕は多分、かなりちょろい。だからきっと、恋バナだったのだろう。


それから月日は流れ、僕は多分、少し歪んでしまった。
今は声を大にして言いたい。

リア充爆発しろ!